飛空艇革命(2)


 ここアレクサンドリア城の中庭にはのどかな光景があった。
 この国の王女が白い蝶を捕まえんと走り回り、それを国王夫妻が目を細めながら眺めていた。
「これこれブラネや。そんなに走り回っていては転んでしまうぞ。」
「大丈夫だもん。」
 ブラネ・ラザ・アレクサンドロスはこの時10歳。
 おしとやかとはほど遠い元気いっぱいの女の子だった。
「やれやれ、困ったものだ。あの性格は一体誰に似たのやら……。」
「まあ、わたくしだとおっしゃりたいのですか?」
 横にいた女王が顔をしかめた。
「い、いや。そのようなことは……。」
「嘘をお付きにならないでください!」
「お父さまもお母さまもケンカはやめて!」
両親の様子を見ていたブラネが今にも泣きそうな顔で叫んだ。
「どうして……どうしてすぐにケンカするの……。ケンカするお父さまやお母さまなんてだいっきらい!!」
「ブラネ……。」
 ブラネは両親のことが世界で一番大好きなのだ。
 天下のアレクサンドリア国王夫妻も娘の泣き顔には勝てず、そこで(強引に)仲直りをしてしまうのだった。


 ようやくブラネが機嫌を直したちょうどその時、大臣が手紙を携えて国王の下へやって来た。
「陛下、お楽しみのところ申し訳ありませんが、これを……。」
 国王はその手紙を読むと急に顔を強ばらせた。
「すぐに重臣たちを招集してくれ。余もすぐに行く。」
「かしこまりました。」
 大臣が立ち去ると、国王は妻と娘に重い口調で言った。
「すまんが、大事な用ができた。」
「お父さま、用ってなに?」
 娘の問いには答えずにそのまま国王は城内へと歩き始めた。
「待ってよ! お父さまったら!」
「ブラネ!」
 追いかけようとするブラネの腕を母親が掴んで引き止めた。
「お母さま……?」
「ブラネが心配することはないのよ。」
 そのただならぬ雰囲気にブラネもようやく気付いたのか、もう追いかけることはしなかった。


 国王が自室にいる家族の所に戻ったのは夜遅くだった。
「ブラネは?」
「もう休みましたわ。あの子ったら、あなたにお休みの挨拶をするまでは起きてるってもう大変でした。」
「それは可哀想なことをしたな。」
「ところで、一体何がありましたの?」
「……ブルメシアがわが国へ攻め込もうとしているそうなのだ。」


 国境から届いた手紙にはこうあった。
『ブルメシアの竜騎士団が国境向けて進軍中。万が一に備えて兵の増援を請う』


「その情報は確かですの? 近年のブルメシアとの関係は良好でしたのに……。」
「調べてみたが、どうやらブルメシアで派閥争いがあったらしい。」
 ブルメシアに放ってある密偵によると、もともとブルメシアには竜騎士団隊長を中心とする戦争推進派と大臣を中心とする戦争反対派の派閥が存在しており、双方の仲は険悪であった。
現ブルメシア王が健康なうちは表立っての争いはなかったが、王が年老いて正しい判断が出来なくなると途端にそれが表面化していったのである。
 王に成り代わって国務を執り行うはずの王子はまだ19歳と若いため双方をまとめることができず、その結果、推進派が反対派の大部分を暗殺し、国王を唆して開戦を決意させたのだった。
「本意ではないが、相手が攻めて来るならこちらも軍勢を率いてそれなりの対応をしておかねばな。」
「まさか……、あなたも行かれるのではないでしょうね?」
「大部隊らしいからな。余が行かねば兵たちが安心できまい。」
「でも……。」
「心配はいらん。あくまで我らは向こうを牽制するだけだ。ブルメシアとてわが国の力は充分知っていようし、無謀な戦いは避けるはずだ。」
不安を隠せない妻を安心させるように国王は微笑みながら言った。
「ではせめて、リンドブルムにもこの事を……。」
 近年になって、アレクサンドリアとリンドブルムとの間で不可侵条約が締結され、徐々にではあるが両国が歩み寄る姿勢を見せ始めていたのである。
「いや、伝えるまでもなかろう。これはブルメシアとわが国の問題だからな。」
「でも、あなた……。」
「相変わらず心配性だな。」
 国王は手を伸ばし妻を抱き寄せて耳元で囁いた。
「来月の……そうだなブラネの誕生日までには戻ると約束しよう。」
「その言葉、信じてもいいのかしら?」
「今日までおまえとの約束を破ったことがあったか?」
 すると、妻は夫の背中に腕を回して彼の胸の中で囁いた。
「……いいえ、ただの一度もありませんわ。」


 翌日、国王は大軍勢を引き連れてアレクサンドリアから出陣した。
女王とブラネはそれをバルコニーから見送ったが決して表情は晴れやかでなかった。
 両者とも口にこそ出さないが、彼の姿を見るのはこれが最後なのではないかと思っていたのだった。
 もちろん今までにも彼が出陣する事は何度かあったが、今回ほどの言い知れぬ不安を感じたことはなかった。
「お母さま、お父さまはきっと大丈夫よね? すぐに帰ってくるよね?」
「ええ、大丈夫よ……きっと!」
 女王はまるで自分に言い聞かせるかのごとく、娘を安心させるのだった。
inserted by FC2 system