幸せだった時間(4)





 あの夜以来、二人の仲は急速に深まっていった。
 クジャは、時々何の用もないのにセレーナの家に押しかけては、束の間の談笑を楽しむようになった。
 セレーナも、時々身の回りを掃除するだの料理を作りに来ただの口実を設けては、クジャの屋敷を訪れるようになっていた。
 つまり、二人はほぼ毎日会っていたのだった。
 『ほぼ』というのはクジャが時々どこかへ数日間出掛けてしまう事があったからだが。
 さらに、二人で銀竜に乗って世界中を旅行することもあった。
 最初は銀竜を怖がっていたセレーナも今ではすっかり慣れてしまい、仲良しさんになってしまっていた。
 そんな日が数ヶ月間続き、セレーナはついにクジャの屋敷に引っ越してきた。
 周囲の人間はここまでくれば二人が結ばれるのも時間の問題だろうと噂しあっていた。
だが…。


*****


 この季節には珍しく、雷が鳴り響き雨が激しく降り注ぐ夜の事だった。
 セレーナは不安そうに窓から外を眺めていた。
 恋人は昨日から『仕事』といってどこかへ出かけてしまい、あと2日は帰って来られない。
 『仕事』の詳しい内容は彼女も知らない。
 ただ、一度だけクジャにおもいきって訊ねてみた事がある。



『どうしてクジャさんは武器商人のお仕事を?』
『……知りたい?』
 セレーナは無言で頷いた。
『僕には敵がいるんだ。』
『敵?』
『そう、圧倒的な力を持った敵がね。そいつに打ち勝つために僕はどんな手を使ってでも力を手に入れたいんだ……。』
『逃げる事はできないんですか?』

 できるなら私と一緒にどこか遠くの、誰も知らない場所へ――――

『逃げられやしないさ。あいつからは絶対に――――フッ、つまらない話をしてしまったね。』
『いいえ、訊ねた私がいけないんです。』
『……もしかして、街の人間から何か言われたんじゃないだろうね?』

 その通りだった。
 彼らの仲睦まじい姿に嫉妬したある女が、クジャに対する中傷を書いた手紙を送りつけてきたのだ。


クジャにはあんたの他に女がいるんだ。
数日間自分の屋敷を空けるのはそのためさ。
それに、裏では酷いことやってるに決まってるさ。
でなかったら、どうしてあの欲深のキングが自分の土地の中にクジャの屋敷を建てたりするんだい?



 無論セレーナは即座に手紙を破り捨てた。
あんなに優しい彼がそのようなことをしているはずがないと確信しているからだった。


『クジャさん……他の人がなんて言おうと、私はあなたを信じていますから。』
『信じている……か。悪くないね、そういうことを言われるのも。』
 その時クジャは珍しく――――いや、生まれて初めて心の底から嬉しそうな笑顔を浮かべたのだった。




 雷光がピカッと一瞬夜空を明るく照らすと、次の瞬間ものすごい雷鳴が轟きセレーナは現実へと引き戻された。
 いつの間にか時計は深夜を指していた。
 どんなに遅くまで起きていても彼が帰って来るわけではない。
 こんな夜は早く寝てしまうに限る。
 そう思い寝室に入ろうとした時だった。


 コンコン……
 誰かが玄関の戸を叩いた。
「誰?」
 返事はなかった。
「わかった、クジャさんでしょ?」
 以前にも同じことがあったのだ。

 いつまでもノックの音が止まないので泥棒かと思い、護身用の棒を持って恐る恐る扉を開けてみたら、次の瞬間いきなり抱きすくめられ唇を奪われた。
 突然のことに驚いたが、自分がよく知っている匂いを感じて抱きしめているのはクジャであるとすぐにわかったのだ。

「早かったんですね、すぐに鍵を開けますから。」
 扉を開ければ愛しい人がいて多分抱きしめられる。
 彼にとってそれが『ただいま』という挨拶なのだ。
 しかし、そんな甘い考えはすぐに吹き飛んでしまうことになった。
 次の瞬間、扉がバンッと勢いよく開けられたのだ。
 否、『破られた』と表現するのが正しいだろう。
 悲鳴を上げるセレーナの前に現れたのは、背の高い黒ずくめの老人だった。


*****


数日後……


 雨がシトシトと降る中、トレノの外れにある共同墓地で葬儀が行われていた。
 墓碑にはこう刻まれてあった。
『セレーナ・クリスティ 1779〜1797』

「…大いなる父の祝福を受け、汝の肉体は大地へ戻らん。願わくば神の御加護によりセレーナ・クリスティの魂を至福の地へ導きたまえ……、ファーラム…。」
「ファーラム…。」

 セレーナの葬儀が滞りなく終わり、弔問客が帰っていった。
 彼らは口々に言っていた。
「…まだ若いのに。残念なことだ。」
「強盗が入ったらしいですが外傷が全くなかったそうで…死因は何なのです?」
「さあ…よく判りませんがショックによるものだったらしいですぞ。」
「それより哀れなのはクジャ殿ですよ。間もなく華燭の典を挙げるそうだったじゃないですか。」
 クジャは、弔問客が帰った後も墓の前から離れなかった。
「すまないセレーナ……怖かったろうね、僕を恨んでるだろうね。」


 外側の大陸から戻ってきたクジャが屋敷の中で最初に見たものは、ベッドに横たわるセレーナだった。
 最初は寝ているのかと思った。
 近づいてそっと髪を撫でようと額に手を置いて初めて気付いた。
 彼女の体が全く熱を帯びていない事に。
 クジャは色を失い、彼女を抱き起こすと必死になって名を呼び続けた。
 そして次には白魔法を掛けていた。
 さらにそれが無駄と分かると、次には医者を呼んでいた。
 ガイアの文明を、人々を愚物と見ていたクジャが初めて他人に彼女を助けてやってくれと懇願したのだ。
 医者はすでにセレーナは亡くなっていると何度告げてもクジャは承知しなかった。
 命の灯はとうに消えており、無駄な事だと頭では分かっていても魂がそれを否定していたのだ。
 だが、とうとう彼女の死を現実の物として受け入れた時、クジャは激しく慟哭した。
 なのに……涙は一滴も出て来なかった。
 彼は自分自身を呪った。
 彼女を守ってやれなかった自分を、造られた存在のため涙すら流せない自分をただ呪った。
 もう少しクジャが冷静であったら彼女の死因が魂を奪われた事によるものであり、誰の仕業であるか分かったであろう。


「セレーナ、見ていてくれ。僕は必ず全ての頂点に立ってみせる……。」
 それ以後、クジャはめったに人前に姿を現さなくなった。
 そしてガーネット姫の15歳の誕生日、アレクサンドリアに姿を現す事になる――――


 その頃、異世界テラにて、黒ずくめの老人が静かにつぶやいていた。
「これでよい。これで計画の遅れは取り戻せよう……。」




                          <完>
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