幸せだった時間(3)
数日後の夜、ナイト家で宴が催された。
トレノでも指折りの有力貴族の宴とあり多くの貴族たちが訪れていた。
当然、クジャもキングの代理として出席した。
しかし、今回は貴族の令嬢たちから言い寄られる事はまだなかった。
なぜならクジャは女性を連れていたからである。
その分、注目度は倍になってしまったが。
なぜならクジャが連れている茶色い髪の女性の容姿がこの上なく美しく、身を包んでいる赤いドレスも彼女の美しさをこの上なく惹き出していたため、男性までもが目を奪われていたからなのだ。
女性陣は――――
「ねえ、クジャ様と腕を組んでおられる女性は一体誰かしら?」
「さあ・・・でも羨ましいわ。あんなにぴったりと寄り添って。」
一方、男性陣は――――
「クジャ殿が連れて来たあの女性、輝くばかりに美しいですなあ。」
「全くその通り。余りにも麗しすぎて我々には手が出せませんな。」
というように、二人を見るたびに口々に感嘆と羨望の声を上げていた。
「あの・・・クジャさん・・・私、やっぱりここに来るべきでは――――。」
クジャに寄り添っている女性――――セレーナが恥ずかしそうに小声で言った。
周囲の声が聞こえたこともあるが、本当のところはクジャとこうしているのが恥ずかしかったのである。
別に嫌というわけではなく、むしろ嬉しいのだ。
セレーナは自分を救ってくれたクジャの優しさにいつしか惹かれていたのである。
しかし、彼女はクジャが自分の気持ちを知ったらきっと迷惑するに決まってると考え、それを必死に押し隠していたのだ。
だが、クジャの腕に触れていると自然に胸の鼓動が高鳴ってくるため、いつそれが気付かれやしないかと気が気ではなかった。
「心配ないよ。他人の声なんて気にしなくていい、僕にこのままくっついているだけでいいんだから。」
そんな彼女の気持ちを知ってか知らずかクジャは優しい言葉を返す。
「でも・・・。」
「大丈夫。」
そう言って安心させるクジャもはっきりと自覚しているわけではなかったが、この時セレーナの存在が自分の中で本当に大きくなっていた。
いつからかは判らない。
グルーナーから助けようと決心した時からかもしれない。
自殺を思いとどまらせた後、屋敷で彼女の話を聞いた時からかもしれない。
いや、もしかしたらグルーナーに言った通り最初に姿を見かけた時からかもしれなかった。
ただ、どこに好意を持ったかと訊かれれば『トレノの他の女性にはない清らかさに』と答えただろう。
権力と欲望に取り付かれていない彼女はクジャにとって今までとは違う女性だったのである。
やがて、弦楽器による優雅な調が屋敷内に流れ始めた。
すると、貴族の男女が手に手を取ってホールの中央へとゆるやかに移動し、曲に合わせて華やかに舞い始めた。
「キミ、踊りができるかい?」
クジャが訊くとセレーナは首を横に振った。
決して下手ではないが、上手というわけでもなく失敗してクジャに恥をかかせてはいけないと思ったのである。
クジャはいかにも残念といった表情をした。
そこへ、ナイト家の主人が二人へ歩み寄ってきた。
彼はセレーナの姿を見て恭しく手を差し伸べてきた。
「今宵、あなたような美しい女性と一時を過ごせれば光栄なのですが、いかがですかな?」
ナイトはセレーナを踊りの相手に誘ってきたのだ。
「す、すみません・・・私・・・あの・・・。」
ミレーヌは逡巡した。
クジャの傍を離れたくはなかった。
もしそうなったら、独りという不安と極度の緊張のあまり自分の頭はパニックになってしまうだろう。
しかし、自分はクジャの付き添いで来ているため、彼とナイトとの関係を悪くしてはいけないことくらいは承知している。
応じるしかないのかと彼女が思った時だった。
「ナイト様、申し訳ありませんが彼女は少々酔っておりますので粗相をしてしまっては・・・。」
クジャが助け舟を出した。
「ほう・・・。とてもそうには見えんが・・・。」
「とんでもない。」
ナイトの言葉にクジャはセレーナの体を背後から左腕でゆっくりと抱き寄せた。
途端にセレーナの顔が火を噴く。
自分の身体が想いの人とぴったり密着しているため当然の事なのだが。
「御覧の通り、彼女はこんなに顔が赤くなるほど酔っておりますので私がこうして支えていなければ・・・。では失礼します。」
クジャはその体勢のままナイトの訝しげな視線を尻目にホールからバルコニーへとセレーナを連れ出した。
そして――――
セレーナは心臓が破裂しそうになっていた。
バルコニーで二人きりになってからもクジャは腕の中の少女を解放しようとしなかったのだ。
恥ずかしさのあまり逃れようとすると、
「・・・ごめん、もうしばらくこのままでいさせてくれないかい?」
声色からしてどうやらクジャの方が酔っているらしかった。
だが、彼の甘えるようなそれでいて寂しそうなその声に、いつの間にかセレーナはされるがままになっていた。
「温かい・・・。」
「えっ?」
クジャの囁きにセレーナは首を彼の方へ少し向けた。
暗い上に視野に僅かしか入らなかったがクジャの顔は幼い子供のような表情に見えた。
「人ってこんなに温かいものなんだね・・・。」
「? 当たり前の事だと思いますけれど・・・。」
セレーナは不思議そうな顔をした。
「・・・そうなのかい?・・・。」
造られた存在であるクジャは、今まで人の温もりというものを知らなかったのだった。
「クジャさんだって親に抱かれた事くらいあるでしょう?」
「・・・僕には親なんて・・・。」
確かに彼に親などいない。
だが、仮に自分を造り出した奴を親というならクジャはそいつを葬る計画を密かに進めているのだ。
なんと滑稽なことだろう。
クジャは自嘲の笑みを浮かべた。
「!! ごめんなさい! 私ひどいこと言ったみたいで・・・!」
セレーナはどうやらクジャは自分の親を知らないのだと思ったらしい。
「気にしなくていいよ。」
「でも・・・!」
「いいんだ。」
そう言うと、クジャはセレーナをクルリと振り向かせた。
彼女は一瞬ビクッと身体を震わせたが俯くことができなかった。
クジャの顔が目の前にあったから。
真正面から見た彼の顔は暗闇の中で白く美しく浮かび上がっていた。
ただ・・・彼の瞳は優しいようでどこか冷たい光を放っていたけれど。
一方のクジャもセレーナほどではないが心の中はかなり動揺しており、瞬きすらできずに彼女の顔を見つめていた。
セレーナの美しい顔が目の前にあったから。
真正面から見た彼女の顔は言葉では表せないほど本当に綺麗だった。
ただ・・・今の彼女は瞳が虚ろで両頬は赤ワインよりも真っ赤に染まっていたけれど。
二人はしばらくそのままお互いの顔を見つめあった後、そっと目を閉じてお互いの顔を近づけていった――――
その後、ホールで一組の男女が曲にあわせて華やかに踊っていた。
居合わせた貴族たちによれば、まるで花園で舞う二匹の蝶のように華やかであったという――――