あいつは俺たちとは違う。
 元々あいつは俺たちのような『はみ出し者』じゃない。
 あいつには夢があった。
 いつか大陸一の舞台女優になるという夢が。
 けど、この盗賊団にいる限りそれは叶えられない。
 だから、いつかはこんな日が来ると思っていたんだ……。


 
あれから5年



 復興したリンドブルム工場区に新たに建設された飛空艇発着場。
 そこには蒸気機関を開発したシド9世を称えた銅像が建てられている。
 落成以来、この像は目の前で繰り広げられる様々な人間ドラマを静かに、しかしずっと見守ってきた。
 勿論この像には魂など宿っていないが、両の瞳に埋め込まれた宝石は、何かを抱えて生きている人々の姿を全て映していたのである。
 毎日汗水垂らして働く職人や技師たちの出発と帰宅のラッシュ。
 狩猟祭優勝を狙って意気揚々と降りてきておきながら、終了後に逃げるようにして引き返してきた見栄っ張りの若者の姿。
 あの大戦で行方不明になった夫の帰りをひたすら待ち続け、一年後に遂に再会できた妻と子の感動の奇跡など。
 そして今日も、何やら訳ありの様子の男女二人が姿を見せた。


「ここまでありがとな。荷物重かったやろ?」
「別に。酔ったお前を担いだ時のほうが重かった」
「なんやと!」
 シルバーブロンドの女性―――ルビィが右拳を挙げて威嚇すると、赤毛の男性―――ブランクは慌てて首をすくめた。
 しかし、彼の脳天にお馴染みの鉄拳が振り下ろされることはなかった。
「……まぁええわ。今日ぐらい大目に見たる」
 その代わり盛大な溜め息を吐きながら、ルビィは近くのベンチにドサリと腰を落とした。
「どうした? いつものお前らしくないな」
 その理由が解っているにも拘らず、あえてブランクは訊ねた。
 一度会話を切ってしまうと、そのまま二度と言葉を交わせなくなるような気がしたからである。
 数瞬の沈黙が流れた後、ルビィは質問の回答とは別のことを呟いた。
「うち、ほんまにこれでよかったんやろか?」
「なんだ今更。あれだけ悩んで決めたことだろうが」
 そう言うと、彼もまたベンチに腰を下ろし、アレクサンドリア行きの飛空艇が到着するのを静かに待った。


***


 アレクサンドリア城下町の裏通りにあるルビィの小劇場は、連日大盛況だった。
 元酒場の主人アシュリーの接客の良さ、リンドブルムのスーパー二枚目俳優ロウェル・ブリッジスの人気、そして何よりもルビィの天才的な演技力が、観客を虜にしていたのである。
 観客の中には、はるばるリンドブルムから訪れる者もいるくらいだった。
 しかし、ルビィはタンタラスでの仕事もあって、アレクサンドリアとリンドブルム間を週に何度も往復しなければならず、過労で体調を崩すことも一度や二度ではなかった。
 そして、それを見かねたバクーが彼女にタンタラス卒業を勧めたのは、つい三日前のことだった。
「今の無理な生活を続けてたら、いつかおめーの身体は壊れちまう。そろそろ潮時だと思うんだが、どうだ?」
 その日からルビィは悩み続けた。
 いつかはこんな日が訪れると頭では解っていたが、いざそうなってみると、なかなか決心がつかなかった。
 ルビィは他の団員のように、世間からはみ出していたから入団したわけではない。
 十年程前、舞台女優を夢見て両親の反対を押し切ってリンドブルムに上京したのはいいが、独特の訛りのせいでどこの劇団も受け入れてくれず、途方に暮れて泣いていたところを通りがかったブランクとジタンに誘われて入団したのである。
 タンタラス団での生活は毎日が充実していた。
 騒動のない日が珍しいほどの賑やかなアジトで、毎朝フライパン片手に仲間たちを叩き起こし、腕によりをかけて料理を作る楽しさ。
 広く煌びやかな舞台の上で大勢の観客を感動させ、泣きたくなるほどの盛大な拍手喝采を浴びる喜び。
 僅かな光すら見えない闇の中で呼吸を殺し、最高の緊張感の中でお宝を頂戴するあのスリルと興奮(ルビィが盗賊の仕事を命じられることは滅多になかったが)。
 そして、喧嘩ばかりしていた彼との間にいつしか芽生えた仄かな想い。
 それらの大切な思い出を頭の中に刻んでくれたタンタラスから卒業する決心など、簡単にできるものではなかった。
 しかし、バクーの言うように今の生活を続けることもこれ以上は無理だ。
 小劇場での活動をやめるという選択肢もあるが、小劇場の現状からすれば、それもできそうにない。
 小劇場で幼い頃からの夢を叶えるか、それともタンタラスで今の楽しい生活を続けるか、彼女の葛藤は続いた。
 そして昨日、ルビィは遂に決心を固めた。
 タンタラスを卒業し、小劇場で本格的に女優として活動することを。


 その日の夕食は、ルビィの卒業パーティーになった。
 一人一人が寄せ書きした色紙や、ルビィの喜びそうなプレゼントが贈られると、彼女は感極まって堰を切ったように泣き出してしまった。
 そしてバンスやルシェラ、さらにはマーカスやシナまでもが貰い泣きしてしまうまで嬉し涙を流し続けたのだった。
 一番泣きたい人物は、部屋の片隅で必死に堪えていた様子だったが。


 翌日、ルビィは長年暮らしたアジトを発った。
 見送りはしなくていいと昨日断ったのだが、予想以上に荷物が重過ぎたためブランクが発着場まで運ぶことになった。


***


「せやけど、ほんまにうちがいなくても大丈夫なん? 料理とか、朝起こしたりとか――−」
「だから大丈夫だって言ってるだろ? 料理だってこれからはルシェラが作ってくれるしな」
「…………」
「…………」
 二人とも言いたいことが山ほどあるはずなのに、結局黙りこくってしまった。
 特に昨日あまり話せなかったブランクは、少しでも彼女と会話する時間を得たいがために荷物運びを買って出たのにも拘わらずにである。
 勿論これが今生の別れというわけではないだろうが、今後は滅多に会えなくなるだろう。
 彼女の演技力なら、本当に大陸一の舞台女優になるかもしれない。
 そうなれば、ますます会う時間など取れないだろうし、有名になった彼女を他の男が放っておくとは思えない。
 ブランクにとって、彼女に自分の素直な気持ちを打ち明けるなら、これが最後のチャンスかもしれなかった。
 しかし、生まれつきお人好しにできている彼が、他人の夢を阻んでまで自分の希望を通すことなどできるはずがなく、かと言って、「さっさと行っちまえ」だの「お前がいない方が静かでいい」だの、彼女を突き放すような言葉も出せなかった。


 やがて、発着場に飛空艇が到着した。
 飛び立つまでの残り僅かな時間になって、やっと二人は会話を再開した。
 しかし、その内容は当たり障りのない淡々としたもので、まるで今日初めて会ったばかりのような、ぎこちないものだった。
「向こうでもしっかりやれよ」
「うん」
「たまにでいいから、手紙寄こせよな」
「ブランクもな。忘れたら許さへんから」
 二人はそのまま、出発時間までその態度を変えることはなかった。
 お芝居にあるような別れのキスも、抱擁も、いつか会いに行く約束も、とうとうしないまま……。


***


 いつしか冷たい雨がポツポツと降り始めていた。
 ルビィを乗せた飛空艇がプロペラ音を響かせながら飛び立ち、窓越しに見える彼女の姿が遠く小さくなり、やがて見えなくなってからも、ブランクはその方角を見つめていた。
 視界から消える直前、堪え切れなくなったのかルビィが窓を開けて身を乗り出して何事か叫んだが、その声はプロペラの音に掻き消され、ブランクの耳には届かなかった。
―――これで……これでよかったんだ。
 ブランクは自分にそう言い聞かせた。
 胸がどうしようもなくズキズキと痛むが、時間が経てば治まるだろう。
 そして、もう彼女のいないアジトへ帰ろうと振り向くと、こちらを見つめる銅像の姿が視界に入った。
 気のせいだろうか、雨に濡れた銅像は二人の代わりに涙を流しているように見えた。



 
End





三本目完成ですが……お題に沿ってないかも(滝汗) 台詞も少ないし(TT)
一応、『小劇場を開いてから五年』ということにしています(^^;)
ブランクのその後ですがこちらこちらにあるように、結局はルビィを追い駆けるような形で―――♪
ロウェルと三角関係(もどき)もやって―――(斬)
とにかく、二人はこちらのように(?)結婚することになっているので安心してください(笑)
ところで、この話が暗くて嫌いという方は、こちらで笑ってやってくださいm(_ _)m






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