ここに、死刑間近となった一人の男がいた。
 男は死への恐怖からか、それとも何か別の理由があるのか、ブツブツと何事か呟いていた。
―――どうしてこんなことになってしまったんだろう? オレはあいつが愛したこの国と、子供たちを守ろうとしただけなのに……。
 死刑執行人が罪状を読み上げると、割れんばかりの拍手と喝采が巻き起こった。
―――オレは、間違っていたんだろうか……?
 男の最期の呟きは、周囲から沸きあがる見物人の歓声に掻き消され、誰の耳にも届くことは無かった。
―――教えてくれ、あの時、君は何を言おうとしたんだい……?


 
君が逝って5年



 これより遡ること五年、すなわちガイア歴1822年。アレクサンドリア第17代女王、ガーネット・ティル・アレクサンドロス17世は、三十八年の生涯を閉じた。
 死因は風邪をこじらせたことによる病死だった。
 国政による極度の疲労が彼女の身体を蝕み、免疫力を低下させていたのである。
 勿論、夫のジタンはそれに早くから気が付いていたし、ガーネット自身も休養を忘れていたわけではない。
 むしろ第二子のクリスティアンが産まれて以後、体調を崩すことが多くなってからは、妻を気遣ったジタンが女王代理として政治を執ることが増えたため、以前よりも休養できる時間が多くなったほどである。
 しかし、それにも拘らずガーネットの身体は齢を重ねるごとに衰えていった。
 亡くなる数ヶ月前、とうとう寝たきりの状態になってからは、雪のように白かった肌は不気味なほどに青白くなり、細身ながらふくよかだった肢体も、光に照らせば透けて見えてしまいそうなくらい痩せ細っていた。
 ジタンはアレクサンドリアは勿論のこと、隣国、さらには世界各地から名医と評判の医者を呼び寄せ、何とか彼女の快復を試みたが、彼らの手に負えるものではなかった。
 ガーネットの病は、心労と気鬱から来るものだったからだ。


***


 全ての始まりは、ガーネットが第一子のアメジストを身体に宿し、出産するまでジタンが政治を司ることになったことである。
 周囲の予想とは裏腹に、ジタンの政治的才能は目を見張るものがあった。
 平民出身の上に裏の世界にも通じているためか、その辺りの知識を活かした政策を行い、見る間に城下町からの犯罪を一掃してしまったのである。
 国民からは勿論、諸大臣からも称賛される夫を最初は誇らしく思っていたガーネットだったが、やがてそれは不安へと変わっていった。
 少しずつではあるが、彼の目つきが変わり始めていることに気が付いたからだ。
 様々な思惑が蠢いている政治の世界に身を置いているうちに、いつしかジタンの思考は王族のそれに染まってしまったのである。
 しかし、アメジストを出産したガーネットが以前のように政治を執るようになると、同時にジタンも盗賊だった頃の自由奔放な彼に戻ったため、ガーネットはほっと胸を撫で下ろした。
 それから約二年の間、家族三人は幸せな日々を送ったが、クリスティアンを妊娠したことが判明した時、ガーネットの心の中に、かつての不安が蘇ってきた。
 望まぬ決断を下さなければならない苦痛。
 国を守り、民を安んじなければならない重責。
 危険と隣り合わせだったあの頃の方が楽だったと思えるほどの真っ暗な政治の世界。
 二度と自分と同じ思いを夫に味わって欲しくない。
 ガーネットは身重になっても政務をこなすようになっていた。
 周囲の反対を押し切り、ジタンの忠告も聞き入れず……。
 当然の結果、ガーネットは体調を崩して倒れてしまった。
 一時は流産寸前とまで診断され、さすがにこの時ばかりはジタンも凄い剣幕で怒鳴った。
「どうして無理するんだ!? 少しは身体のことを考えろ!」
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
 ガーネットは泣いて謝るしかなかった。
 結局、ジタンは再び政治の世界に身を置くことになった。
 以前にも増して彼の政治力は高まっていたが、表情が曇りがちになることが多く、妻の前でも笑顔を見せることが徐々に少なくなっていった。
 それから数ヶ月後、ガーネットは予定日よりも少し早く出産した。
 男の子の誕生にジタンは大層喜んだが、ガーネットにはそれがアメジストの時のように、自分たちの子供がこの世に産まれてきたことを喜ぶものではなく、まるで跡継ぎができたことを喜んでいるように見えた。
 そして不運なことにガーネットは産後の肥立ちが悪く、政治をジタン一人に任せる日々が続き、ようやく床上げをした頃には、夫は完全に結婚した当時の彼ではなくなっていた。
 瞳には暗い光が宿り、目つきも鋭く、雰囲気もどこか近寄り難いものとなっていた。
 スタイナーもベアトリクスもこの事には胸を痛めており、病床に臥せっていたガーネットには今まで黙っていたが、ジタンがこうなったのは、彼が絶対の信頼を置いていた文官が民の納めた税金を横領して逃亡してからとのことだった。
 ジタンにとって、このような裏切られ方は生まれて初めてだったのだろう。かなりの衝撃を受けたらしかった。
 その夜、ガーネットは書類を纏めているジタンを背後から静かに抱き締めた。こうすれば、彼の傷つき渇いた心を潤すことができると信じて……。
「ずっと無理させてごめんなさい。あとはわたしに任せて、父親として子供たちと遊んであげて」
 重苦しい沈黙の後、ようやくジタンは口を開いた。
「そうはいかないよ。オレにも国を守る義務があるんだから」
 思いもしなかった発言に、ガーネットの心は打ちのめされた。


***


 それから十二年。アレクサンドリアはリンドブルムと拮抗するほどに発展した。
 皮肉なことに、ジタンがガーネットにはできない合理的な政策を取り入れたことが成果を上げたのである。
 もはやジタンは模範的な政治家になっていた。
 決して家族への愛が失せたわけではなかったが、どうしても政治を優先することが多くなっていた。
 かつては城に遊びに来ていた仲間たちも、ジタンの立場と心境の変化を察したのか、公式の場以外ではほとんど会わなくなっていた。
 一方のジタンも、彼らに会いたいとも思わなくなってきていた。
 ガーネットの心は痛んだが、もうどうしようもなかった。
 幾度か昔語りをして、かつてのジタンの姿を思い出させようとしたが、それも無駄に終わった。
 むしろ「やめろよ、下賎な盗賊だった頃の話は」と、昔の自分を蔑んでしまうほどだった。
―――ジタンは変わってしまったわ。わたしと結婚したばかりに……。あの時、わたしが位を捨てていれば良かったんだわ……。
 鬱々とした日々が続き、そしてとうとう彼女は病に倒れたのである。
「頼むから元気になってくれ。オレにできることなら何だってしてやるから!」
 危篤状態の妻の手を握り締めて哀願する夫に、ガーネットは苦しそうな表情で僅かばかり口を開き、彼の耳に何か囁こうとしたが、その前に意識を失ってしまった。
「ダガー!」
 そのまま彼女は二度と目覚めることはなく、三日後にこの世を去った。
 偉大なる女王の死に家族は勿論、国中が悲しみに包まれた。泣かない者は誰一人としていなかった。
 そして、この日を境にジタンの表情から笑みが消え失せた。
 妻の分までこの国を守り、子供たちを幸せにしてみせると固く誓ったからだ。
 ジタンは誰よりも冷徹な男となった。
 女王が亡くなったことで、どこか不穏な空気が漂い始めたアレクサンドリアから危険分子を一掃する政策を行い、王室の力を絶対的なものとした。
 その中には冤罪で罰せられた貴族もいたが、絶対的権力者が陥りやすい猜疑心の虜となっていたジタンには、以前のような柔軟な判断ができなくなっていたのだ。
 次第に国民の中からも、彼の政策を疑問視する声が上がり始めていた。


 ***


 三年後―――
 アメジスト王女とリンドブルム公子との間に縁談の話が持ち上がった。
 二人はお互いに全く面識が無く、これは完全な政略結婚であったが、リンドブルムと縁続きになれば、この国はさらに強固になると考えたジタンは諸手を挙げて賛成した。
 しかし、アメジストにはすでに想い人がいた。相手は以前ジタンが罰した貴族の一人息子だった。
 当然、父娘間で大喧嘩が起きた。
「お父さま、お願いです。どうか彼との仲を引き裂かないでください!」
「エイミー……。もうこれ以上、オレを困らせないでくれ。おまえの為を思ってこその結婚なんだ……。分かってくれ……」
 アメジストは聞き入れなかった。最後には恋人と駆け落ちすらしようとした。
 だが、それを知ったジタンは彼女を城内の一室に軟禁した。
 娘がかつての妻と、そして恋人がかつての自分と同じ境遇であったことなど考えもしなかった。
「おのれ、私の両親ばかりでなく姫まで不幸にしようというのか!」
 あまりの仕打ちに激昂した恋人は、城に忍び込んでアメジストを窓から連れ去ろうとしたが兵士に見つかり、抵抗したためその場で討ち取られ、首は王女誘拐犯として城下町に晒された。
 そして彼の死を知ったアメジストは毒を呷って自害して果て、第一王子のクリスティアンは父を恨み、国を飛び出して行方知れずとなった。
 それでも、ジタンは国を強くすることを止めなかった。


 ***


 そして二年後―――
 早朝、どこからともなく無数の男たちが城に武器を携えて攻め寄せてきた。
 彼らを率いていたのは、第一王子のクリスティアンだった。
 彼は国と父親に対してクーデターを起こしたのである。
 ジタンが防衛を命じても、従う者はほとんどいなかった。
 王女を死なせた時点で、民衆の心は国王から離れていたのである。
 戦闘らしい戦闘も行われず、中庭でジタンは捕らえられ、城下町を引き回された挙句、ギロチンで首を刎ねられた。
 奇しくも、この日はガーネットが没して丁度五年目に当たる日だった。
 この後、クリスティアンが王の位に就き善政を布いたことで、アレクサンドリアはかつての平穏な姿を取り戻した。
 一方、ジタン・トライバルは悪政王として後世に名を遺し、クリスティアンの存命中は墓標すら建てることを許されなかったという―――



 
End





五本目完成です! やったーやったー 嬉し……くないですよね。問題作の範囲を超えてます(滝汗)
しつこい&くどいですが、前回同様、この話はあくまで仮想世界です! あくまでも、この一家は幸せに暮らしていくことになっているんです!
でもお題の最後を飾るのには相応しくないですよね(汗) 残り2つも書いていくつもりですが。
別作品と交換することもありえますので(むしろ、そうしろ!)
それにしても、書いていけば書いていくほど、ジタンがこうなってしまいそうな気が(斬)
かつてはマーカスだったジタンが、後にレア王に……。
歴史上、権力者になった途端、性格が変わってしまう人は決して少なくないんですよね。自分が築き上げてきた物を守ろうとするあまり。
続編がこんな作品だったらどうしよう?(ありえないから)
ちなみに初登場の2世については、こちらで少しだけ語っています。(性格などはまだ決まってません)
でもデビュー作で長女が……(泣)
とりあえず、『
5つのお題』完了致しました(^−^)ゞ






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